ミャンマー旅行 -悠々として急げ-

1、初めに

2、宗教

3、自然

4、生活

5、市場経済化・都市化とその課題

6、まとめ 

初め

ミャンマーは微笑みの国でした、みんなが、「ミランガラバー(こんにちは)」と優しく微笑みかけてくれます。

宗教と自然の存在が人を温かく包み、微笑みをもたらしているようでした。そして、温かくつつまれた人々の生活は悠然として豊か。そうはいっても、急激に変化を遂げるミャンマー市場経済化、都市化による課題が顕在化していました。

そんな課題に目を向けつつ、宗教、自然、生活を切り口に、微笑みの国ミャンマーをちょっと振り返り。

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宗教 

ミャンマーでは、宗教と生活がきっても切り離せない関係にあるようでした。宗教が絶対的なものとして存在しているというよりは、人々にとっての心のよりどころであり、社会における秩序であるという感じ。

仏像も威厳ある姿というよりは、温かみがある。

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ある時は、パゴタ(ミャンマー語でお寺)は、人々にとっての憩いの場であり

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ときには瞑想で心を落ち着かせる場であり

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ある時は、静かに、そして、凛と祈りをささげる場である

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経済、政治と大きな変革が訪れるミャンマー、そんな時だからこそ、昔も今もこれからも変わらない宗教が、ミャンマーが「らしくある」ための秩序として存在していくのだと思います。

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自然 

ミャンマーの自然で心に残ったのは、太陽に照らされた平野に幾重にも広がる水田、畑。見るからプランクトン豊かさそうな大河。そんな景色の中に調和するパゴタ。

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豊潤な土地は、多様な食をもたすようで、マーケットにいくと驚くくらい豊富な野菜や魚が売られていました。

見たことない葉物から、タケノコのような日本でもなじみのあるものまで。この世でとれる野菜で、ミャンマーでとれないものはないんじゃないかというくらい豊富。

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さらに、プラントン豊富な河も食の宝庫、エビ、カニ、ナマズのような川魚、でっぷりと油ののった海魚などなど。

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生活

人々も自然と共にいきています。

日が昇れば、町も目を覚まします。

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河の流れと同様にゆったりと漁をして、そして、水上にて生活を営む

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唸るように熱い熱中は昼寝をし

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雨がふり、日が沈み、河の水が冷たくなれば水浴びにいく

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仕事は、主要産業の農業のほかに、多く目にしたのが工芸品の手仕事。観光立国をはかるミャンマーにとって重要な産業。特に豊かな自然が、独自の工芸品を生み出します。そして、作りざまは、まさに、家庭内手工業。村をあげて工芸品をつくっています。代々受け継がれている技術は職人そのもの。

特産である竹に頭に刷り込まれたパターンを掘りあげ、装飾美しい皿をつくる男性

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ハスの茎から糸を紡ぎ足踏み織り機でスカーフを織る女性

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市場経済化・都市化とその課題 

宗教と自然に包まれ悠然といきるミャンマーの人々、ただし、ヤンゴンを中心に経済的、社会的変化がすすんでいました。

もともと、ヤンゴンでは通りごとに、八百屋通り、裁縫通り、日用品通りなどの区分がなされていて、明確な小売り構造がみられます。裁縫通りの手巻きミシンのおじさん。

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一方で、他のインドシナの都市同様、政府主導で外資を誘致する中で、急ピッチで商業ビル、施設の建設が進んでいます、建設ラッシュにより、もともとの商店(兼住居)の立ち退き、取り壊しがおこなわれていると聞きます。

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また、急速な都市への人口流入に対して公共交通の発達が不十分なため、街は車であふれかえっています、都市にいると気温というより排気ガスにより息苦しさを感じました。

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さらに、顕著だったのが、ごみと格差の問題。急速に加工食品や化粧品などが流通、消費されるようになる中で、ごみの処分の概念、システムがないミャンマーでは至る所でごみの山が見られます。(これは他の新興国都市でも同様ですが)

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また、インド、中国、タイと国境を接するミャンマーには、経済成長における機会をもとめる人や、構造格差や民族闘争・内紛をのがれた人々が多く流入しているようで、ヤンゴンの町を歩くと、ベンガル系、中華系、イスラム系と非常に多様性にあふれています。ベンガル系、イスラム系の人々。

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そうした文化的・職業的バックグラウンドを持たない移民系の人びとの中には、生活が不安定になる人も多いようで、ミャンマーに元来なじみの少ない、貧困、犯罪の背景の一つになっているようでした。実際、ミャンマーで一度だけあった詐欺は、そうした移民の人を中心にしたスラムエリアでした。

暗いことばかりではありません。資本主義というシステムに組み込まれている以上、そうした変化は必然であり、人々は柔軟に変化をうけいれらなが生きていて、たくましさを感じました。

軽トラックを乗り合いバスにしたり、

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スラム化したエリアでは町全体でお互いの生活を支えあったり、

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こうした人々のたくましさもまた、ミャンマーの新しい美しさの一つなのだと思います。

 

まとめ

旅行を通して、“悠然として急げ”という開口健の言葉が思い出されました。急速に変化を遂げるミャンマー、ただし、きっと、宗教や自然といった存在によってはぐくまれているミャンマーの悠然とした生活はそう簡単には変わらないのだと思います。

悠然とした人々の生活に魅了され、同時に、顕在化する課題にも触れた今回の旅行。今度は、事業・商品の企画に携わる者として、人々の悠然とした生活を持続的に支えるための課題解決という形で再び訪れることができればいいなと感じています。

 

パガンの遺跡群にのぼる朝日

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番外編

 

宗教建築

人を温かく包みこむミャンマーの宗教、そんなあり方は建築にも見られました。

たとえば、天井のデザイン。イスラム建築同様に、 幾何学模様を中心にしたデザインで、夜空を見上げた時に近い宇宙的な広がりを感じます。さらに、鏡が素材として使われていることが、夜空を見るとき以上の気持ちの良い体験をもたらしてくれます。たとえば、映り込みによる重層的な空間の広がりや、光の反射による空間のやわらかさ。何時間でもボーと天井を眺めていられる、素敵なデザインでした。

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濱口祐自@晴れたら空に豆まいて

今日は早々に仕事を切り上げ、濱口祐自のライブを聴きに晴れたら空に豆まいてへ。ライブマジックに続き2回目。

濱口祐自を初めて聞いたのは、山帰りの車で流していたラジオ、バラカンビートにて。衝撃が。
完全南部のブルースギターリストにしか聞こえないこのギターが日本人によるものなんて!

そして、驚きググるとその経歴もまた衝撃・

59歳にしてメジャーデビュー!
マグロ漁船乗組員、体操教師、クラブオーナーなどを経て、何と59歳にしてリリースしたメジャーデビューアルバム。那智勝浦でギターをつま弾き続けた男の奇跡の一枚だ。
出典
【聴きたい!】ポピュラー新盤 濱口祐自 59歳…奇跡のデビュー - MSN産経ニュース

細野晴臣をしてこうだ。

「熊野人、凄いBlues 魂。こういう人が潜伏しているとは、日本は不思議な国だ。」細野晴臣

濱口祐自だからこそ弾けるギター、そして、その魂から奏でているような音色。どこから湧き出てきたんだろうと思わせるような人間としてのあふれ出る生命力。(話しかけると逆に10分くらい一方的に話してくる勢いとも...)

同じ曲を弾いても毎回毎回演奏の味が違い、かつ、演奏者とお客さんもお客さん同士も同じ目線で楽しめる。かといって、常に演奏の腕は、常に一流。こころが沸き立ち、底抜けに明るく、いつまでのこの空間にいたいと思わせる濱口祐自のライブは魅力的なライブを絵にかいたような空間。

年初からいいライブに行きました。ブルース巡礼に南部にいくように、今年は和歌山は勝浦に足をむけ、この不思議なミュージシャンを生んだ地と、その地で濱口祐自のライブを聞きたいと思う。

2015年振り返りと2016年

2015年は変化の年。
虚栄をはって暮らしていたことの瓦解にはじまり、自分に素直になって心から向き合いた思った仕事に関われない苛立ち。そんな負に向き合った2015年前半。この辺のことはこのブログに。
ただ、思い切り負に向き合い、周りの人の支えもあり、後半からは一転、自分にあった企画の仕事にまい進し、暮らし全般において良いパターンをつくれた2015年後半。ポイントとしては1、新しい仕事、2、旅、3、趣味の仲間、4、一人暮らしの再開、5、仕込み1、新しい仕事センシングの領域においてハードウェアにとどまらない、データー、サービスまでの事業企画に携わりながら、事業領域を新規ドメイン(新規アプリケーション、新規バリューチェーン、新規収益モデル)に拡大するチャレンジ。かねてよりの思いである「技術的な価値を経済的な価値に結びつける」上で、やるべきことがやれていると感じている。(なにをすべきかは以前のブログ)。また、ワークスタイルの面でも、海外含めた市場観(欧州、中国、アジア)を出張を通して取得することができたとともに、国内外のサポートから設計までのメンバーと連帯しながら仕事ができた。
2、旅仕事においていい循環が回ることで仕事以外の時間を思いっきり楽しめたのも今年の後半。タイ、パキスタン(フンザ)、インド(ラダック)など宗教、文化、自然、生活...あらゆる面で日本での日常と異なる場への旅は刺激的であり、学びもおおく、また、そこでの見たもの話したことは一生忘れられないものが多かった(写真はこちらで)。特に、以下は印象深く、再び訪れ、触れたいと思わせるものだった。
パキスタン(フンザ)
  神のもとに皆が平等であるという宗教観
  豊かな自然のもとでの悠々とした生活観
・インド(ラダック)
  グローバルな視点と同時に自分たちの宗教、自然、文化に根差した生活を継承する教育(詳細こちらで
  ヒマラヤの圧倒的な自然と厳しい山の中での人びとのたくましい暮らし
3、趣味の仲間また、山、音楽、旅、絵画、食事、呑みなどなどそれぞれの趣味の領域において、時間を豊かで楽しいものにしてくれる友達に改めて感謝するとともに、新しい友達に恵まれることもできたことが、趣味の幅を広げてくれたように思う。特に、西東京に引っ越してきて音楽の各種イベントへのアクセスが近くなり、そこで友達と過ごす時間は格別だと思う。バラカンマジックを中心に幼いころから愛するクラシックなグッドミュージックと、GillesPetersonを中心に国、ジャンルをクロスオーバーしたエレクトロ系ミュージックと、山達を中心にしたシティポップとがほどよく調和した音楽ライフだった。
4、一人暮らしの再開
3年半ぶりに寮生活から一人暮らしに戻り、生活空間を再構築することに。調理器具、趣味道具(カメラ、音響周り)、ワードローブ、生活用品などそれぞれ長く付き合うものを見極め、少しずつそろえていくことは自分の生活観をものを通して再整理するよいきっかけだった。
5、仕込み以上がいままでの仕込みが少しずつ形になってきたもので、次の仕込みの準備も少しだけできたかなと思う。中でも、さとなおラボの参加は2015年後半の大きなハイライト。事業企画の仕事をする中で、プロダクトとコミュニケーションのプランニングの垣根が一層となくなってきていると感じるようになった。そんな折に、大学時代にコミュニケーションプランニングに強く興味をもちサークルまでつくるきっかけになったさとなおさんのラボへの参加することに。さとなおさん、組織を超えたラボの仲間との議論を通して、コミュニケーション領域の考え方をアップデートするとともに、プランニングの型、仕事へのプロ意識を学ぶことができている。また、つい等閑になっていた読書の習慣が戻ってきたのも、考えを深め整理することにつながった。

そんな2015年の後半のモメンタムを保つための2016年のテーマは「型」「動」。モメンタムを再現性高く持続させるために思考・行動パターン「型」をつくり、ただ、好奇心は大事にして「動」く。自分のスコープを広げながら「型」をブラッシュアップしていきたい。

1、学びを形に
オープンクローズド戦略、管理・財務、ビジネスモデルの構築、デザイン思考でのプランニング、コミュニケーションプランニング...一連の知識を事業企画の業務に落とし込み、プランナーとしての型をつくっていきたい。また、書籍、セミナー等々、意識的に各領域の議論をアップデート、拡大していく。
2、結果を残す
事業企画として仕込んできたものを事業立ち上げ、収益という結果として残したい。そのために、机上のアプローチ以上に、周囲を巻き込むプロセスを意識したい。国・ファンクションを超えたフラットコミュニケーションインフラ、周囲に納得してもらうコミュニケーション・業務スタンス、ミーティングファシリテーション・・・といったHowを強く意識していきたい。同時に、プロダクトプランナーという立ち位置をベースにコミュニケーション、ファイナンスといった領域へプランニングの領域を拡大して、企画の実現性を高める。また、今の英語をより自然なコミュニケーションを可能なものとするためのブラッシュアップ。
3、テーマをもった旅
宗教、文化、生活、自然など、それぞれのテーマに即した形で旅をしていきたい。ニューオリンズのブルースカルチャー、ケニアの自然、リオの音楽に結びついた生活などなど、いきたいところは沢山あるのだけど、絞り込まないと、、
5、趣味を記録し、広げる
本、音楽、食事、映画、絵画など見て聞いて触れたものを記録する癖をつけたい。音楽に関しては膨大に聞ききためたものをミックスとして形に残したい。アウトドアでは、剣岳など残す100名山にチャレンジするとともに、渓流づり、キャンプなど自然をゆっくりと楽しむ領域にも時間を使いたい。
5、ミニマルな生活
生活用品を最低限に絞り込み、できるだけ気分の引き締まる上質なものにしたい。起きる時間、食べるもの、掃除洗濯タイミングをパターン化したい。
6、健康的な生活
2015年はあまりに風邪をひくことが多かったので、週1~2回のランニング、水泳生活取り戻す
8、興味対象を拡大し、知識を深める
「ジェネレーションマーケティング」「地方のカルチャー、固定化・再生産されるカルチャー」「地域内生産、消費、流通」など幾つか深堀していきたいテーマに関して、関連図書を通して、知識を深め意見をまとめる。
9、人と定期的に会う
一人暮らしを始めて出不精になってしまったので、意識的に人にあいたい。ちゃんとスケジューリングをする。意識的に出会いをつくるようにする。
10、家族との時間をつくる
今年はあまりに実家横浜に帰らなかったため、ほどほどに家族との時間を持つ。


2016年は地に足をつけながらも、新しいチャレンジに向けた仕込みの一年をとしていきたい!

仕事について

最近、あらためて「仕事」というものに思いを巡らせることがおおいです。

仕事には、大きく2つの側面があると思う。

1、社会、組織の中でのニーズに応えるもの
2、社会、組織に対して自分の考えをとうもの

この1、2を満たしている「仕事」に関われていると感じたときにやりがいを感じ、それをやることでの誇りを感じることができると思う。

多くの人が大小があれども1、2にのっとって仕事をしていると思う。ただし、それがわかりやすく、相対的に魅力を感じる仕事はやはりある。

例えば、わかりやすいものが社会に役に立つ仕事と言ったもの。

たとえば、社会企業家といった社会課題に立ち向かうような仕事。
この前、情熱大陸で特集されていた向田さんなんかはその最たる例かもしれないし、先日、記事を読んでいた国連職員の田島さんなんかもそうなのかもしれない。

向田麻衣(社会起業家): 情熱大陸
世界で活躍する人の共通点は? 国連職員・田島麻衣子さん | ライフネットジャーナル オンライン

「社会課題解決=仕事」という図式がはまり易い仕事は、上の書いた仕事の定義にはまりやすいし、不思議と魅力的にうつる。

また、世の中に必要とされるプロダクトやサービスを具体的に形にして世に提供するエンジニアやデザイナーも比較的わかりやすく魅力的にうつりやすい。特に、制作のプロセスが分業化されずに少人数で制作をおこなっている場合は特に。

アーティストもそうなのかもしれない。例えば、先日話しを聞いたLCA出身の牛込さんの活動は、アートを通して、世の中に批判的な観点を提供して、議論を喚起するというもの。下の作品はネットの利便性の反面として抱える監視性への批判したプロダクト。

Open Informant | superflux

ただし、社会や組織の仕組みの全体感やその中でのつながりをよくよく理解すると結果的にどんな仕事であれたいていは社会、組織のニーズにつながっているし、逆に、こじつけであっても、そのつながりを理解すべきだと思っている。

例えば、僕がいままでやってきた仕事なんぞはとにかく1、2を満たすものなのかが、理解できない最たるものと思っていた。でもいまでは、曲がりなりにも1、2を満たす価値のある仕事なんだとはうっすらとだが思っている。

僕は、「カメラ本部における技術部門スタッフ業務」というなんだか大仰な名前の仕事をメインでしてきた。

仕事としては管理会計をメインとする部門の中に属していて、そういう意味でいうと、本来は、経営数値(基本はP/L)をベースに、事業がむかうべき方向をただしく経営者に判断してもらう業務。

ただ、僕が相手にする技術部門は、P/L上で表現するなれば、研究費や製造間接費用といった全体の中の一部でしか表現されず独立した経営判断指標をもたない。

逆に、利益を出すことが最大の目標である事業において、全体の中では費用削減というどちらかというとネガティブな努力をしいられる部門である。

費用削減という分かりやすい指標で技術部門を評価してしまうと、結果的に技術部門縮小均衡におちいってしまって、事業として本来社会にはたすべき役割である魅力的なプロダクトを世に出すための基盤となる魅力的な技術がうまれなくなってしまう。

そこで、技術部門が全体の経営数値のなかの一部として評価されて、結果的に、費用削減といった縮小均衡に陥らないように誰かが守らなくてはいけない。

生活が華やぎ、ワクワクするような、そんなプロダクトを世に出す。それが僕の会社の社会的な役割。そして、僕の役割はそんなプロダクトに不可欠な技術、それを生み出すエンジニアをワクワクさせるような判断の仕組みをつくり、まわしてくこと。

もちろん、普段の業務をしている中で、こんな堂々めぐりな正論を感じられることはそうはないけど、ふと立ち止まってこんな観点から仕事をとらえると、仕事が誇らしく思えてくるし、結果的にふと人にはなしたくなる。

自分自身がそうだからこその自戒をこめてだけど、あの人の仕事はうらやましいなって思ってばかりいるとつかれてしまうし、いつのまにか自分らしさを失ってしまう。

自分が人生の積み重ねの結果として身を置いている仕事が、いったい全体どんな社会的、組織的な役割をもっているんだろうって立ち止まって考えてみる。そうすると意外に自分の仕事は魅力的。

山下達郎が、一番嫌いな言葉は?と聞かれてアーティストと応えていて、同時に、「市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です。」と応えている。

あいつはいいな、ではなくて、おれもいいな、って思って仕事をしたい。そう思っています。

ものづくりのメディア化

最近、スマートロックのQrioにしてもそうですが、メディア企業出身の人がハードウェアスタートアップを立ち上げたり、経営参画するのを散見します。Qrioの場合はサイバー出身の西條さん。

http://octoba.net/archives/20141215-etc-qrio.html

背景としては、ハードウェアを通した世界観や体験を伝えるということが一層大事になっているということと、「作ってから伝える」ではなく「伝えてから作る」ということが可能になってメディアの人が上流での経営参画が出来るようになっているからだと思います。

ハンズオンで経営参画する以上、エンジニアとの技術的な共通言語をどれだけ持てるか、ハードウェア特有の量産前後のオペレーションをどこまで理解できるがといった課題を気にする声が聞かれる気がしますが、むしろ、会社経営と創り作ることを切り離して、うまくODMやSCMパートナーを活用することに重きを置いてもいいのかもしれないと個人的には思います。

いずれにせよ、機を捉えてハードウェアの世界の魅力を広げる上でのいい動向と感じています。賛否両論ありそうですが^_^;

新富町sensibiliteで感じた日本的デザイン

新富町のsensibiliteというバルに先日に食事にいきました。ラムと接客がすばらしいお店なんだけど、それ以上に外装内装のデザインに心惹かれるものがあったので簡単な考察をしてみました。

1、ちょいと入りにくいクローズドな外装

2、はいると開放的でキッチン、ダイニングの区分のない内装


これって何かに似ているなと思うと茶室?

1、ちょいと入りにくいクローズドな外装

2、はいると開放的でキッチン、ダイニングの区分のない内装

ちょっとこじつけ感はあるかもしれませんがいわゆる日本的デザインの根底が茶室という空間に存在しているとすると、そのエッセンスを取り入れることが日本人がおちつく場の設計ということを可能にするのかもしれませんね。

そもそもそうした空間に落ち着きを感じるのは日本人の精神性みたいなとことに結びついているんだろうけどそれは次なる考察として残しておきます。

あとよく言う北欧デザインと日本のデザインの共通性ってやつはいつもなぜ共通性があるのかなって不思議に思ってたのですが、その思考のヒントになるかもしれないなと頭の片隅に置いておきます。

【備忘録】今日気になった三つのこと

今日きになったこと3つのこと。土日にだらだらと調べてみよう。詳しい人お酒の場ででも教えてください。

①日本酒と焼酎の違い
あたりまえだけど醸造酒と蒸留酒の違いだと思うのですが、日本酒はそりゃまあ米という素材に特徴があるんだろけど何が違いを分かつのかな?焼酎は米もそばもいもも素材は種々あるけど焼酎として一括りにされるからには何かしらプロセスが共通しているんだろうな。そもそもどんなプロセスで、かつ、うまいうまくないを決めるプロセスの違いはなんなんだろ?あとどちらも海外の醸造酒や蒸留酒とは「素材」「プロセス」という観点でどう違うのかな?

②月島の景観保護
下町って言われるくせに妙にマンションが多い月島。それも低かったり高かったりでなんだか統一感がない。調べてみると街区規格による土地管理をしようとしているらしい。それはそれで景観保護なんだろうけど、イコール「中央区の独特の長屋風景な下町的情緒を守る」ではない気がするのだが...また怪しいのが「路地(2項道路)を2.7mの通路として定めて道路から通路(地区施設)と変わることにより、今まで道路として利用するため建築敷地として活用することができなかった土地の有効活用が可能となります。」という条例改訂。これっていい意味でごちゃごちゃした小さい家が立ち並んでいる土地を買い取ってマンションを立ててしまうことが可能ってことなのかな?ニューヨークもおなじように街区規格で土地管理しているってレムコールハースが書いてた気がしたけど、街区規格内にあるアパートメント自体はずっと前からあって、それをリノベーションしながら維持しているイメージで外観は変わってない気がする。
http://www.tokyo-machidukuri.or.jp/machi/vol_31/m31_06.html

③お客さんが上質なカフェやバーの設計
お客さん同士がすごい親和性の高いお店ってよくあるけど、たとえば、常連さんだらけのバーとか、おしゃれな人だらけのカフェとか。あれってどうやって実現されているのだろうか?外装内装とか表層的な部分を意図的に事前設計しているのか、もしくは、はじめは色んな人がくるけど段々と淘汰プロセスが自然に生まれて同質的な人残っていくのか。たぶんどちらもなんだろうけど、意図的な事前設計的なものと、自然な事後的プロセスをどうやってうまく組み合わせていくのかが気になるなー