コミュニティデザインの現場を訪れて

 今日は、名古屋から新幹線を乗り継ぐこと3時間、三重の島ヶ原まで訪れた。目的は、studio-Lのメンバーと面会をするため。

 先日のカンブリア宮殿でのstudio-Lの山崎亮さんの特集を特集を見て、学生の頃より、興味を持つコミュニティデザインの先端を走るstudio-Lとはいかなるものなのか、この目で確かめ、そして、メンバーと話をしたいと思ったのが旅のきっかけであった。そして、コミュニティデザインに対してなんとなく興味を持つだけで終わらせるのでなく、今年のテーマである「人に会い」「文章に書く」ことで、自分の本気度を確かめたかった。

  • 「コミュニティデザインとはいかなるものなのか?」
  • 「studio-Lとはいかなる団体なのか?」
  • 「なぜ僕がコミュニティデザイン、そして、studio-Lに興味をもったのか?」
  • 「彼らを訪れ、話しをすることで感じ、考えたこと」

以上をこのエントリーでは取り上げる

※本エントリーの写真は、studio-Lのサイトより借用させていただきました。

1、コミュニティデザインとは?

 コミュニティデザインとは、端的に言うと、「そこで暮らす人の生活を豊かにするための仕組みづくり」といえるかと思う。ただ、ここでいう豊かさとは経済的なものだけを指すのではなく、モノやお金だけでは満たされない人と人の結びつきにがもたらすようなものもさす。特に、近年注目を浴びているコミュニティデザインは後者のものが多い。

 高齢化が進み存続の危機に立つ離島や、山間部に位置して限界集落となっている村や、大手小売りの進出で衰退する商店街や、産業の斜陽と共に活気を失う県中心部や、人同士の結びつきが希薄で多くの人が孤独を感じる都市中心部の街など、各地域が固有の問題を抱えている。そうした問題をデザインの解決していこうとするのがコミュニティデザインである。ここでいうデザインとは、絵画や建築などハードのデザインだけを指すのではなく、物事の仕組みそのものとらえ構築していくことを指す。

studio-Lの山崎さんはデザインを以下のように解釈しているという

designとは、記号的な美しさとしてのsignを抜けだし(de)、課題の本質を美しく解決する行為

この解釈には非常に感銘を覚える。

コミュニティデザインとはコミュニティの抱える根本的な問題の解決を図っていこうとする行為を幅広く指すものである。


2、studio-Lとはいかなる団体なのか?
 テレビで代表の山崎亮さんが取り上げられたり、また、彼の著書を通して既に、studio-Lに関して見聞きしたことがある人も多いかと思う

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

 代表的な取り組みとしては、兵庫の離島である家島や島根県の離島である海士町のの活性化を図ったプロジェクトや、鹿児島のデパートを核にした地方都市の賑わいを取り戻すプロジェクトや、栃木での益子町でのイベントを契機としたコミュニティデザインなど、離島や、中山間地域、地方都市などそれぞれの地域が抱える問題をコミュニティデザインを通して解決している。

 プロジェクトのケースを読んでいて、印象的なのが、ヒアリング等を通して地域に張り込む姿勢と、行政や地域の人々を反対する人も含めてをうまくプロジェクトに巻き込んでいく力、対話を重要視していること、地域の人々の自立的かつ継続的なプロジェクト運営をもたらしていること、あせらずゆっくり成果を追求していることなどがあげられる。地域活性化などと言うと大仰な感じがするし、それは、行政、企業による一方的かつ、経済合理性が意識されたものが多い気がしててしまう。
また、対話の不足で、地域住民の望んでいないハコモノに予算が投入されて地域活性化と銘打たれたり、地域の日常性を無視した施策によって町の姿が一変してしますような行政施策といったイメージをもってしまう。(そういえば、ボルダリングで有名な瑞垣山のある町に訪れた際、活性化の名の下、誰が訪れるんだろうとびっくりするような立派なコミュニティスペースがあったものだった)

 一方で、studio-Lのプロジェクトは、地域の人々の生活を何より重視し、自分たちが黒子になって目指すべきストーリーの中で、住民たちを主人公として躍動させている。実際に、本日studio-Lに訪れて聞いた話では、海士町では若者減少と高齢化によってまちの活気が失われていたのが、studio-Lのプロジェクトを通してUターン者が増え若者と高齢者の対話が生まれ、少子化によって寂れていた学校が島根一倍率の高い高校に変化を遂げたりと住民の力によって確かに変革が遂げられてきているという。

 なにより、プロジェクトを通して、人と人のつながりが生まれた際の人々の笑顔は何とも美しい。そして、そこに携わっているstudio-Lのメンバーの顔も。地域が抱える問題を、本質を突き詰めた上で、地域の住民の力で確かな解決と、持続的な地域の活性化をもたらしているのがstudio-Lの活動なんだろう。

3、なぜ僕がコミュニティデザイン、そして、studio-Lに興味をもったのか?
 興味をもつきっかけは、大学2年にさかのぼる。何となしに、西日本を鉄道で旅をしている際に感じた、各々の街に存在する固有の美しさ、特に、島根から芸備線で広島に向かっているときに感じた山間部の日常的な美しさに触れたこと。一方で、電車で通過する国道沿いの街や、宿泊で立ち寄る地方都市がどこにいっても同じ景色で、どことなく侘びしい印象を受けた。また、同じ夏に、大地の芸術祭を訪れた際に、イベントを通して開催地の十日町の人々と触れる中でそこの日常性の中にある土着の美しさに感動した。一方で、友人の紹介で限界集落に宿泊させてもらい山間部の現実もしった。

 それぞれの地方には土着の日常性の中に美しさがあり、また、住民同士のつながりが生活の充実をもたらしている(例えば、一日に数本しかない運行のない芸備線では電車の中が住民同士の社交場でありそこでの会話はとても楽しそうだった)。転勤族であり、横浜育ちで、私立の中興学校を出た僕にとってこの気づきは衝撃的なものだった。

 大学のある東京の国立市にもどると、確かに、国立にもこうした日常的な美しさが存在していた。特に、個人商店や個人経営の飲食店が多い国立はそこが気が合う仲間たちの結びつきの場であり、日常性を感じられる場であった。昼のカフェや夜のバーに一人、また、一人と人々が集まってきて日々の何気ないことを話したり、社会経済に関しての議論をかわしたり、好きな音楽に聞き浸ったりする日常性があった。ただ、この日常性は、地域住民の中で存在するもので、一部の学生を除いて学生にとってはあまり無縁なことだった。むしろ、チェーンの居酒屋で騒ぎ散らかして地域住民に迷惑をかけているといった印象の方が強かった。そこで、仲間内で学生が国立の日常性にとけ込むきっかけをつくれないかと言うことでKunicoという地域の個人飲食店をフォーカスした雑誌を作成した。店側としても、学生としても今まで接点を持つ場がなかったが、Kunicoによって接点がうまれ、ちらほらと個人商店で学生を見かけ、なじんでいる姿を見つけた際はとてもうれしかった。

 
 また、市政レベルの企業誘致の活性化プロジェクトや、市民レベルでの読書会等に関与させていただく中で地域活性の仕事に興味をもつようになっていった。ただ、具体的な仕事としての関わり方等が分からぬうちに、自分の悪い癖なのだが、いつしか関心がおざなりになり卒業を迎えてしまった。

 社会人として生活を始めてから、前述のstudio-Lの山崎さんの著書に触れる機会があった。もともと、NHKのドキュメンタリーを通して、studio-Lや山崎さんの存在をしっていたのだが、社会人になり、中期/事業計画策定や事業運営に携わる中で、studio-Lの取り組みと自分が今仕事の中で携わっていることに近しい部分があることを感じた。限られた予算の中で、事業計画を策定し、その際、利害調整に追われながら決裁にこぎ着けること。実行上は、やる気がない人も含めて巻き込みながら事業が運営をしなくてはいけないこと。また、一元的な管理を行うのでなく、管理、運営権限を現場レベルに落とし込んでいくこと。最終的に成果として、プロダクトが出たときに、裏に泥臭い作業があるからうれしいこと。

 まったく同じではないにしても、自分が会社の中で携わっている事業のサイクルと同じようにstudio-Lの地域活性の取り組みは行われているのではないかと思った。仕事の対象として、あこがれがの存在でしかなかったコミュニティデザインが同じようなプロセス(自分たちよりはずっとワークしているんだと思うんだけど)で行われていると感じて、親近感と学生の頃のコミュニティデザインに関わりたいという思いがまた蘇った。

 また、その思いを持った後に、今すんでいる五反田のあまりに住人どうしの関係が希薄であることに寂しさを募らせるようになり、また、会社がある都市にある工場を閉鎖し新聞でその都市の今後の斜陽が心配されているのを目にしたり、会社が製造実習で地方都市を訪れ工場都市の現実を目にする一方で、仕事に余裕ができて久しぶりにローカル線で旅に出て昔感じた土着の日常性にある美しさに触れたりすると共に、さらに、友人に誘いで、陸前高田と東京の若者を食で結びつけるプロジェクトに参加することになったこともあってコミュニティデザインへの関心が少しずつ自分の中で強くなっていった。

 そして、大学時代にKunicoをともに作っていた後輩が、studio-Lに就職したことを知ったことと、一連の感情を抱いた上で、先日のカンブリア宮殿での山崎さんの特集を見た際に、いてもたってもいられず、studio-Lの人と喋ってみたい!思い、担当者に連絡をして、気づいたら連絡をした3日後に三重の伊賀事務所を訪れることになっていた。

4、彼らを訪れ、話しをすることで感じ、考えたこと
事務所のある、島ヶ原は非常に美しい土地であり、山間地域にある独特の暗さもなかった。そこにある伊賀事務所は、木目調で暖かみのある素敵な場であった。

 本日はインターン生が事務所を訪れているようで、過去のプロジェクトの紹介がされていた。
皆の顔が生き生きとしているのが印象的だった。オフィスは、コミュニティデザイン関連の書籍で囲まれ、学習意欲と知のバックグラウンドがあって多くのプロジェクトが成立しているのだなと感じた。また、多くのプロジェクトを手がけていたメンバーの西上さんのプロジェクトの表面的な成果の裏にあるプロセスや、特に多くの人が住む地域を相手にする仕事であるからこその利害調整等の難しさの話しに印象を受けた。一方で、地域への強い危機感と活性化への意思をもつ市の職員等の存在が利害調整や、泥臭いリサーチやドキュメント作成を差し置いてのプロジェクト遂行の支えになるとの話しもまた数々のプロジェクトを遂行した人の言葉であるからこそ納得させられるものであった。この場、このメンバーはあっての今までの成果なのだと感じ入った。

 短い時間ではあったが、上記の西上さんと、同様に多くのプロジェクトを手がける醍醐さんと面会をさせていただき、成果を求めれ誰もができる訳ではないプロフェッショナルな仕事であるからこそ、まずは今の自分の仕事の中でやりきり、成果を出して能力をつけることがいずれコミュニティデザインの仕事に携わる上での近道であると感じた。同時に、コミュニティデザインへは、必ずしもstudio-Lのメンバーとしてでしか関与できないのではなく、彼らが主催するワークショップ等への参加や、他の市民活動への参与という形もあるのだと思った。

 今回、自らコミュニティデザインの現場を訪れ、見て、聞いて、話すことで確かにコミュニティデザインへの関心は増すこととなった。地域の現場に足を運びそこでの問題解決への関与を既存のワークショップに参加することはもちろん、解決策は多種多様で、解決策を自ら模索し、人を巻き込んでいってもいいなと思い、今回、友人と進めている陸前高田のプロジェクトが一つの契機になるのではないかと思っている。こうして、興味関心の幅を広げることがつい今まで疎かになっていたことに反省しつつ、今の仕事での事業運営と一年を通して感じた問題を解決すべく邁進することが、すべてに通ずるなにより大事なことであるという当たり前のことに気づかされ、明日からのモチベーションを高ぶらせることとなった。