仕事について

最近、あらためて「仕事」というものに思いを巡らせることがおおいです。

仕事には、大きく2つの側面があると思う。

1、社会、組織の中でのニーズに応えるもの
2、社会、組織に対して自分の考えをとうもの

この1、2を満たしている「仕事」に関われていると感じたときにやりがいを感じ、それをやることでの誇りを感じることができると思う。

多くの人が大小があれども1、2にのっとって仕事をしていると思う。ただし、それがわかりやすく、相対的に魅力を感じる仕事はやはりある。

例えば、わかりやすいものが社会に役に立つ仕事と言ったもの。

たとえば、社会企業家といった社会課題に立ち向かうような仕事。
この前、情熱大陸で特集されていた向田さんなんかはその最たる例かもしれないし、先日、記事を読んでいた国連職員の田島さんなんかもそうなのかもしれない。

向田麻衣(社会起業家): 情熱大陸
世界で活躍する人の共通点は? 国連職員・田島麻衣子さん | ライフネットジャーナル オンライン

「社会課題解決=仕事」という図式がはまり易い仕事は、上の書いた仕事の定義にはまりやすいし、不思議と魅力的にうつる。

また、世の中に必要とされるプロダクトやサービスを具体的に形にして世に提供するエンジニアやデザイナーも比較的わかりやすく魅力的にうつりやすい。特に、制作のプロセスが分業化されずに少人数で制作をおこなっている場合は特に。

アーティストもそうなのかもしれない。例えば、先日話しを聞いたLCA出身の牛込さんの活動は、アートを通して、世の中に批判的な観点を提供して、議論を喚起するというもの。下の作品はネットの利便性の反面として抱える監視性への批判したプロダクト。

Open Informant | superflux

ただし、社会や組織の仕組みの全体感やその中でのつながりをよくよく理解すると結果的にどんな仕事であれたいていは社会、組織のニーズにつながっているし、逆に、こじつけであっても、そのつながりを理解すべきだと思っている。

例えば、僕がいままでやってきた仕事なんぞはとにかく1、2を満たすものなのかが、理解できない最たるものと思っていた。でもいまでは、曲がりなりにも1、2を満たす価値のある仕事なんだとはうっすらとだが思っている。

僕は、「カメラ本部における技術部門スタッフ業務」というなんだか大仰な名前の仕事をメインでしてきた。

仕事としては管理会計をメインとする部門の中に属していて、そういう意味でいうと、本来は、経営数値(基本はP/L)をベースに、事業がむかうべき方向をただしく経営者に判断してもらう業務。

ただ、僕が相手にする技術部門は、P/L上で表現するなれば、研究費や製造間接費用といった全体の中の一部でしか表現されず独立した経営判断指標をもたない。

逆に、利益を出すことが最大の目標である事業において、全体の中では費用削減というどちらかというとネガティブな努力をしいられる部門である。

費用削減という分かりやすい指標で技術部門を評価してしまうと、結果的に技術部門縮小均衡におちいってしまって、事業として本来社会にはたすべき役割である魅力的なプロダクトを世に出すための基盤となる魅力的な技術がうまれなくなってしまう。

そこで、技術部門が全体の経営数値のなかの一部として評価されて、結果的に、費用削減といった縮小均衡に陥らないように誰かが守らなくてはいけない。

生活が華やぎ、ワクワクするような、そんなプロダクトを世に出す。それが僕の会社の社会的な役割。そして、僕の役割はそんなプロダクトに不可欠な技術、それを生み出すエンジニアをワクワクさせるような判断の仕組みをつくり、まわしてくこと。

もちろん、普段の業務をしている中で、こんな堂々めぐりな正論を感じられることはそうはないけど、ふと立ち止まってこんな観点から仕事をとらえると、仕事が誇らしく思えてくるし、結果的にふと人にはなしたくなる。

自分自身がそうだからこその自戒をこめてだけど、あの人の仕事はうらやましいなって思ってばかりいるとつかれてしまうし、いつのまにか自分らしさを失ってしまう。

自分が人生の積み重ねの結果として身を置いている仕事が、いったい全体どんな社会的、組織的な役割をもっているんだろうって立ち止まって考えてみる。そうすると意外に自分の仕事は魅力的。

山下達郎が、一番嫌いな言葉は?と聞かれてアーティストと応えていて、同時に、「市井の黙々と真面目に働いている人間が一番偉い。それが僕の信念です。」と応えている。

あいつはいいな、ではなくて、おれもいいな、って思って仕事をしたい。そう思っています。