新規事業開発

新規事業開発にというものについての一考察です。

僕はかねてより「技術的な価値を経済的な価値に結びつける」ことに携わりたいと思ってきたのですが、これは業務としては新規事業開発といわれるものに相当するようです。

新規事業開発の中でプロダクトプランニングやビジネスモデルの検討を行うかと思いますが、この営みは非常に創造性が高くいわゆる「デザイン」といわれるものであると考えています。

Wikipediaではデザインの広義での意味が以下のように書かれています。

”デザインは日本語では「設計」にもあたり、「形態」や「意匠」と訳されてきたが、それだけに限らず、人間の行為(その多くは目的を持つ)をより良いかたちで適えるための「計画」も意味する。人間が作り出すものは特定の目的を持ち、それに適うようデザイナー(設計者)の手によって計画されるのである。”

デザインというとどうしてもグラフィックデザインやプロダクトデザインのうち表象的なものを想像してしまいますが、ちと僕の解釈はちがいます。

上のWikipediaの定義にあるように特定の目的を適えるための行為がデザインとすると、ことプロダクトデザインの世界におけるこの目的とは、「ユーザーに魅力的な商品を、ユーザーのコスト負荷が極力ない形で、継続的に供給すること」といえるかと思います。この目的を果たすためにプロダクトの設計をし、お客さんに継続的に供給をするための事業の仕組みを考えるためにビジネスモデルを設計します。双方はプロダクトのアーキテクチャという観点で密接に結びついており、しっかりと上記プロダクトデザインにおける目的を果たすには、各々を単独で検討することは不可能だと考えています。この点においてビジネスモデル検討は非常にデザイン的な要素を持っており、創造性の高い活動であるといるのでしょう。

ただ、ビジネスモデルを検討してもそれを事業として実際に立ち上げ運用をしていかなくてはなりません。

ここで、以下、新規事業開発の方法論について書かれた記事を紹介します。
http://mag.executive.itmedia.co.jp/executive/articles/1310/21/news009.html

この手の方法論は丸1日頭を働かせれば意外に簡単にたてられるかと思います。ただ、方法論をもって自社・Pj特有の制度・体制設計するには頭を働かせるだけではなく社内外の類例を2次情報として集めたり、社内成功事例のエッセンスをキーパーソンを捕まえヒアリングしてかき集めたりと少々の根気が必要になります。そして制度・体制を実際に運用をしたり、Pjを事業化するための推進・交渉プロセスは所謂「泥臭さ」が必要になるんだろうけど自分にとって未知数な領域です。ただ、方向性を共有できたメンバーと取り組むことができればかなり魅力度の高いステージなのではないかと想像しています。

新規事業開発とは今まで見てきたように創造的な部分をもちながら、同時に泥臭さも含有しています。ただ、世の中をかえる、ちょっと良くするという非常にやりがいのある取り組みなのだと思いますし、私が当事者として語れるようになりたいと思う領域であります。

今後つけていきたい知識とその教材(備忘録として)

事業開発、構築をしていく上で、検討のフレームワークを与えてくれるのは戦略論や組織論やマーケティングになるのであろう。特にビジネスアークテクチャー系の議論は検討にあたって有意義な示唆を与えてくれると感じている。


・既読

ビジネス・アーキテクチャ―製品・組織・プロセスの戦略的設計

ビジネス・アーキテクチャ―製品・組織・プロセスの戦略的設計

・読みたいもの

オープン&クローズ戦略 日本企業再興の条件

オープン&クローズ戦略 日本企業再興の条件

また、実際に事業の構築をしていくにあたってはパートナーとの交渉と契約への落とし込みが想定される。この辺は僕も学習不足なので書籍だけでなく専門家にエッセンスを学んでいきたいと考えている。以下以外にもおすすめの教材を教えていただけると嬉しいです。

○交渉
・読みたいもの

実践!交渉学 いかに合意形成を図るか (ちくま新書)

実践!交渉学 いかに合意形成を図るか (ちくま新書)

コンセンサス・ビルディング入門 -公共政策の交渉と合意形成の進め方

コンセンサス・ビルディング入門 -公共政策の交渉と合意形成の進め方

○契約
・読みたいもの

ライセンス契約のすべて 基礎編 第2版

ライセンス契約のすべて 基礎編 第2版

契約業務の実用知識

契約業務の実用知識

意味

 Fishmansを聞きながら金曜の夜を過ごしています。やっぱり空中キャンプはいい。

 さて、久々にテレビをつけると「ドキュメント72時間」というゲームセンターに訪れる人たちを追いかけたドキュメンタリー番組がNHKでやっていた。番組をみていて普段からの興味と結びつく部分があったので文章を書くことにした。

 最近、定時近くに仕事を終えてかえることが多い。すると定時に帰る人々が想像以上に街にあふれていることに気がついた。彼らの顔を見るとどこか浮かない部分があり、手をみるとどうもシングルの人も多いようだ。推測にすぎないのだが、彼らは会社でも所謂「やりがいのある仕事」をやっているというよりは、指示されたことを淡々とこなしているように思われる。仕事に自分の中で腹落ちする意味を求める自分にとっては苦痛のように思えてしまう。かつ、シングルで一人寂しく夜をテレビ番組を見ながら過ごすのだろうかと推測を進めると、一つの純粋な疑問を抱かざるを得なかった。それは、「彼ら彼女は何故生きていられるのだろうか」というという疑問。そこで以下のような複数の仮説をたてていた。
 1、彼ら彼女には自分には思いも至らないところで、人生を意味あるものにさせてくれる何かがある
 2、なにか意味なるものを掴みとろうとしている意思に支えられている
 3、意味とかそういったものはどうでもよくて、ただ漠然と生きている

 これらの仮説が多くの人にとって1、2で成り立っていて欲しいなと心の中で思う一方で、3が成り立つ場合は何か合法的に死を与えるサービスがあればそれを人々が受けるようなこともありうるのだろうかと想像してぞっとした。まあ、そういうものかもしれないと考え、それ以上の思考は進めることなくこの考察はとめていた。

 さて、そんな中で冒頭の「ドキュメント72時間」を見た。その中でゲームセンターで一見するとただ暇つぶしにクレーンゲームに没頭する人たちの中には、実は大きな意味をもってゲームに向き合っている人もいるという事実が描かれていた。例えば、お昼休みにフィギアのクレーンゲームをするOL。彼女にとってこの時間は生活の中で何よりも大事な時間だそうだ。上の仮説でいうと1にあたる。他には、派遣切りにあって漫然と生活をしている男性。記者とのインタビューをとして、彼にとってクレーンゲームをして商品を取ることは再び人生で何かをつかみ取るためのメタファーになっている気がすると答えていた。これは上の仮説でいうと2にあたるのだろうか。

 もちろん、ゲームセンターにいてクレーンゲームをする人なんて一部だし、さらにその中でNHKの記者が選出してインタビューした人から抽出された事実にすぎないので、一概に先ほどの仮説1、2が成り立つという訳ではない。ただ、少なくとも1、2にあたる人たちが存在するという事実を知れたことが嬉しかった。

 大小や世間体に限らず日常の行為には必ず各人にとって大事な意味合いをもつものが存在するはずであると僕は思う。そういった行為は単ににそれだけを観察しても意味不明になってしまうことが多いかと思う。しかし、その行為にその人なりの意味合いが付加されることで納得感が生まれ、場合によっては、美しいものへと昇華されることがある。例えば、中年のオヤジがぬいぐるみのクレーンゲーンを毎日やっているのをみたら正直ぞっとしてしまうと思う。ただ、それが自分にとっての生き甲斐である孫を喜ばせるための行為と聞けば暖かい気持ちになってしまう。
 
 やっぱり人生は映画のように美しいものであってほしいし、そうした美しさに触れながら生きていきたいと思うばかりである。各人の美しい部分が理解し合えるような仕組みがあるといいのになと思う今日この頃であり、そう考えると現在のメジャー情報シェアサービスのあり方はどうなのだろうと次なる疑問が生まれる。

続く。
 

24歳 所信表明

23歳、人に恵まれ、結果として街や山で今までにない楽しい時間が過ごせた年でした。学生の頃に夢想した世界を少し味わっていた気がします。
ただ、多幸感故忘れてはいけないものまで忘れかけていたような気がします。

仕事をはじめ満足は仕切れない現状に対して一度初心に返り真摯に向き合います。
一方で、違和感を感じながらも騙し騙し進んできたことや素直になれず受け入れられなかったことに対しては正面から向き合っていきたいと思います。

・初心
 −事物を体系的に理解しようと努力すること
 −ゲームのルールをかえること
 −ワクワクすることを考え伝えること
・騙し騙し進んできたこと
 −分かったふりをして何もわかってなこと
 −やれる気がして何も出来ないこと
・素直になれなかっとこと
 −親の影響を受けた趣向性


24歳。夢想は程々に手を足を動かして、粘り強く、そして、泥臭く充実感を手に入れる年にしたいです。
そして、皆さんに変わらず相手にしてもらえるように、ちょっとでも人に優しくできるだけの余裕をもてるようになりたいです。

シティーボーイ

「POPYE」のリニューアル後、シティーボーイという言葉が巷でよく使われてますね。「POPYE」のいうシティーボーイとは一体なんなのかと気になって仕方ないのでちょっと文章を書くことにしました。

シティーボーイとは「都会的なセンスを持ち合わせている男性」のことを指すんだと思うんですが、そのセンスのルーツでシティーボーイは3パターンに分類できると思います。とっても野暮ですけどね笑。

一つめは、根っからの都会っ子。東京だったら目黒区とか。アメリカならニューヨークのマンハッタンやブルックリンの一部や、LAの中心部。その土地で仲間たちと共に遊ぶ中でセンスを体に染み込ませて行く。どちらかというと「ストリート」というやつ。あまり、外への露出はないので例というとなかなか出てこないが、zboysやニックミルハウザーとか。

二つめは、都会の名家の血統。1つめが土地や仲間たちの中といった家の外でセンスを磨くのであれば、彼らは家こそがセンスの源泉。血統ゆえの振る舞いの洗練性や、厳選された文化への習熟度などが絶対的なセンスを支える。例えば、加山雄三とか麻生太郎

三つめは、郊外で育ちながら、映画や音楽を通して都会というものに強い憧れをもち、都会に対して圧倒的な妄想を膨らませ、成人後、その妄想を天賦の才や絶対の行動力をもって実現させていくタイプ。例えば、山下達郎開高健やドナルドフェイゲン。

個人的には、1と2のミックスの人と、3の人が好きで、例えば前者であればアレキサンダーオルチや池波正太郎、後者であれば村上春樹とか。

1と2のミックスは真似がもはや出来ない絶対的なセンスに惚れ惚れし、3に対してはその純真な世界観とちょっとばかしの同族感を得て心が落ち着きます。

なんか、シティーボーイって口にすると恥ずかしいけど、やっぱ、1-3のいずれでもない人にとっては憧れの存在で有り続けるのだと思います。僕にとってもそれはモロに当てはまり、そんな偶像化されたシティーボーイについて駄文を書き連ねました。

外資系や大企業に入って出世を目指したり、セレブの真似をした服をきたり、流行のスポーツに身を投じたり、なんだかんだ僕たちはシティーボーイに憧れ日々生きてるんだと思う。

行きつけの店(前編)

このタイトルで山口瞳の本を想像した人は相当のシティボーイ、シティガールです。

と、そんな独断と偏見にみちたシティボーイ論は次回に譲るとして、今日は行きつけの店とは行かないまでも自分の好きな店(あと、一部行きたい店)をピックアップ。

高くなくても、なんだか思いのこもったあったかい「うまいもん」。そんな「うまいもん」に巡り会うとなんとも言えない悦に浸れるものですよね。いろいろあっても、まあいいか、と。
開高健が人間の真の豊穣はセックスと睡眠と食にあると言っていますが、まさしく真なりです。

さて、前置きはここまでで、見ていきましょう。

渋谷
・佐賀
一応、名の通り郷土料理のこの店。時に、この店を渋谷最後の居酒屋と呼ぶ人もいますが、旬の魚(特に焼き物と煮物)と地酒で渋谷での一晩とは思えぬ静かで味わい深い時間が過ごせます
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13014456/

・まめひこ
いわずと知れた渋谷のカフェ。ここのコーヒーと一緒にいただくレモンケーキは絶品。話によると、レモンケーキがスタンダードメニューになったとか。SHIBUYA PUBLISHING AND BOOKSELLERS(http://www.shibuyabooks.net/)に寄って、イカした本と共にゆっくりとした午後を過ごすなんていかがでしょう
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13043557/

・松濤倶楽部
オーセンティックバー。入口に会員制と書いてあり、少し入るのに勇気がいる(僕は先輩にはじめは連れて行ってもらった)。ただ、入れば、そこは男ならば憧れるハードバイルドな空間。気分は一気に若大将。女性と一緒にいって、季節のフルーツのカクテルを嗜んだり、はたまた、50年代のものから取り揃えたオールドパーの飲み比べなどという粋な遊びに浸っては?
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130301/13007303/


・恵比寿
・キッチン ボン
東京人なら一回は行きたい洋食屋。美空ひばりが愛したこの店は、ボルシチが絶品。ただ、お値段も驚き。よく、一周してたどり着くものなんて表現をしますが、大人になって味わう大人の値段の洋食はひと味ちがうものです。
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13001731/

・ハミングバーズヒル
腹が減った、ジャンキーなものを!そんな時はこの店でハンバーガーを。ここにくれば、気分はカリフォルニアバドワイザー(もちろん瓶)で頼んで、ハンバーガーを流し込み、ゲップを食らわせる。そうすれば、昨日までのストレスはどこへやらです。
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13094475/

・bar松虎
入り口がとても分かりづらく、かつ、見つかってホッとして入ると、あまりの洗練っぷりに入ったことを後悔したくなる店。ただ、ドヤ顔で席に座ってみてください。そして、わかったような口ぶりでオールドパーでも。艶かしい干物(矛盾しているようですがそうなんです)がだされたら、さらっと一番手前のモノを選択。ここまでをうまくこなせればあなたのもの。気も落ち着き、極上の空間での極上の酒が楽しめるでしょう。落ち着いてくれば、あとは、お好みを伝えてカクテルやウイスキーをすすめてもらいつつ、時間を楽しんでください。ウイスキーと共に味わう胡椒の練り込まれたチョコが絶品です。
http://tabelog.com/tokyo/A1303/A130302/13001600/

中目黒
・鳥よし
やきとり。言わずと知れた名店。カウンターだけの狭い店内は6時には満席。昼から、目黒川でも散歩をして、早めの来店がおすすめ。威勢のいい店員さんが焼き上げる焼きとりは、焼き鳥のこれが庶民の味焼きとりかと疑ってしまう上品な味。特にチョウチンが絶品。メニューはないので、まずは、おすすめでのオーダーがいいです。
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131701/13003200/

・聖林館
ピザ。これまた名店。
シンプルながらも、生地のうまみが全体の味を盛り上げています。とにかく、ピザを食いたいという時よりも、ちょいと上品にピザを味わうときはここ。
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131701/13003188/


・タツミ
カジュアルフレンチ。アバ(内蔵)の食える店。昔より、ワインのともは、どこかな生臭く、ワイルドものものがいいと言いますが、まさしくそんな小粋なパリジャン気取りができる店
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131701/13124449/

三茶
・赤鬼
銘酒居酒屋。酒飲みで知らない人はいない店。純米大吟醸だけとりあつかうこの店で、旬の食材と最高の日本酒で。店員さんがとにかく日本酒の大好きな人たちで、おすすめを聞きながら酒談義に浸るのもたまりません。この時期なら初鰹とさわやかな「くどき上手」なんかがいい。気分は池波正太郎。やっぱり、日本人である以上、座敷で、仲間と旬のものをつまみながら、日本酒片手に語り合うのが一番の幸せです。ちなみに、三茶にはseptisっていうイケてるインポートショップがあるので、そこに軽くよってから一杯てのがお決まりコースです。
http://tabelog.com/tokyo/A1317/A131706/13001382/


とりあえず、今日はここまで。次回は新宿、目黒、五反田、大井町、吉祥寺あたりをピックアップ。

コミュニティデザインの現場を訪れて

 今日は、名古屋から新幹線を乗り継ぐこと3時間、三重の島ヶ原まで訪れた。目的は、studio-Lのメンバーと面会をするため。

 先日のカンブリア宮殿でのstudio-Lの山崎亮さんの特集を特集を見て、学生の頃より、興味を持つコミュニティデザインの先端を走るstudio-Lとはいかなるものなのか、この目で確かめ、そして、メンバーと話をしたいと思ったのが旅のきっかけであった。そして、コミュニティデザインに対してなんとなく興味を持つだけで終わらせるのでなく、今年のテーマである「人に会い」「文章に書く」ことで、自分の本気度を確かめたかった。

  • 「コミュニティデザインとはいかなるものなのか?」
  • 「studio-Lとはいかなる団体なのか?」
  • 「なぜ僕がコミュニティデザイン、そして、studio-Lに興味をもったのか?」
  • 「彼らを訪れ、話しをすることで感じ、考えたこと」

以上をこのエントリーでは取り上げる

※本エントリーの写真は、studio-Lのサイトより借用させていただきました。

1、コミュニティデザインとは?

 コミュニティデザインとは、端的に言うと、「そこで暮らす人の生活を豊かにするための仕組みづくり」といえるかと思う。ただ、ここでいう豊かさとは経済的なものだけを指すのではなく、モノやお金だけでは満たされない人と人の結びつきにがもたらすようなものもさす。特に、近年注目を浴びているコミュニティデザインは後者のものが多い。

 高齢化が進み存続の危機に立つ離島や、山間部に位置して限界集落となっている村や、大手小売りの進出で衰退する商店街や、産業の斜陽と共に活気を失う県中心部や、人同士の結びつきが希薄で多くの人が孤独を感じる都市中心部の街など、各地域が固有の問題を抱えている。そうした問題をデザインの解決していこうとするのがコミュニティデザインである。ここでいうデザインとは、絵画や建築などハードのデザインだけを指すのではなく、物事の仕組みそのものとらえ構築していくことを指す。

studio-Lの山崎さんはデザインを以下のように解釈しているという

designとは、記号的な美しさとしてのsignを抜けだし(de)、課題の本質を美しく解決する行為

この解釈には非常に感銘を覚える。

コミュニティデザインとはコミュニティの抱える根本的な問題の解決を図っていこうとする行為を幅広く指すものである。


2、studio-Lとはいかなる団体なのか?
 テレビで代表の山崎亮さんが取り上げられたり、また、彼の著書を通して既に、studio-Lに関して見聞きしたことがある人も多いかと思う

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

コミュニティデザイン―人がつながるしくみをつくる

 代表的な取り組みとしては、兵庫の離島である家島や島根県の離島である海士町のの活性化を図ったプロジェクトや、鹿児島のデパートを核にした地方都市の賑わいを取り戻すプロジェクトや、栃木での益子町でのイベントを契機としたコミュニティデザインなど、離島や、中山間地域、地方都市などそれぞれの地域が抱える問題をコミュニティデザインを通して解決している。

 プロジェクトのケースを読んでいて、印象的なのが、ヒアリング等を通して地域に張り込む姿勢と、行政や地域の人々を反対する人も含めてをうまくプロジェクトに巻き込んでいく力、対話を重要視していること、地域の人々の自立的かつ継続的なプロジェクト運営をもたらしていること、あせらずゆっくり成果を追求していることなどがあげられる。地域活性化などと言うと大仰な感じがするし、それは、行政、企業による一方的かつ、経済合理性が意識されたものが多い気がしててしまう。
また、対話の不足で、地域住民の望んでいないハコモノに予算が投入されて地域活性化と銘打たれたり、地域の日常性を無視した施策によって町の姿が一変してしますような行政施策といったイメージをもってしまう。(そういえば、ボルダリングで有名な瑞垣山のある町に訪れた際、活性化の名の下、誰が訪れるんだろうとびっくりするような立派なコミュニティスペースがあったものだった)

 一方で、studio-Lのプロジェクトは、地域の人々の生活を何より重視し、自分たちが黒子になって目指すべきストーリーの中で、住民たちを主人公として躍動させている。実際に、本日studio-Lに訪れて聞いた話では、海士町では若者減少と高齢化によってまちの活気が失われていたのが、studio-Lのプロジェクトを通してUターン者が増え若者と高齢者の対話が生まれ、少子化によって寂れていた学校が島根一倍率の高い高校に変化を遂げたりと住民の力によって確かに変革が遂げられてきているという。

 なにより、プロジェクトを通して、人と人のつながりが生まれた際の人々の笑顔は何とも美しい。そして、そこに携わっているstudio-Lのメンバーの顔も。地域が抱える問題を、本質を突き詰めた上で、地域の住民の力で確かな解決と、持続的な地域の活性化をもたらしているのがstudio-Lの活動なんだろう。

3、なぜ僕がコミュニティデザイン、そして、studio-Lに興味をもったのか?
 興味をもつきっかけは、大学2年にさかのぼる。何となしに、西日本を鉄道で旅をしている際に感じた、各々の街に存在する固有の美しさ、特に、島根から芸備線で広島に向かっているときに感じた山間部の日常的な美しさに触れたこと。一方で、電車で通過する国道沿いの街や、宿泊で立ち寄る地方都市がどこにいっても同じ景色で、どことなく侘びしい印象を受けた。また、同じ夏に、大地の芸術祭を訪れた際に、イベントを通して開催地の十日町の人々と触れる中でそこの日常性の中にある土着の美しさに感動した。一方で、友人の紹介で限界集落に宿泊させてもらい山間部の現実もしった。

 それぞれの地方には土着の日常性の中に美しさがあり、また、住民同士のつながりが生活の充実をもたらしている(例えば、一日に数本しかない運行のない芸備線では電車の中が住民同士の社交場でありそこでの会話はとても楽しそうだった)。転勤族であり、横浜育ちで、私立の中興学校を出た僕にとってこの気づきは衝撃的なものだった。

 大学のある東京の国立市にもどると、確かに、国立にもこうした日常的な美しさが存在していた。特に、個人商店や個人経営の飲食店が多い国立はそこが気が合う仲間たちの結びつきの場であり、日常性を感じられる場であった。昼のカフェや夜のバーに一人、また、一人と人々が集まってきて日々の何気ないことを話したり、社会経済に関しての議論をかわしたり、好きな音楽に聞き浸ったりする日常性があった。ただ、この日常性は、地域住民の中で存在するもので、一部の学生を除いて学生にとってはあまり無縁なことだった。むしろ、チェーンの居酒屋で騒ぎ散らかして地域住民に迷惑をかけているといった印象の方が強かった。そこで、仲間内で学生が国立の日常性にとけ込むきっかけをつくれないかと言うことでKunicoという地域の個人飲食店をフォーカスした雑誌を作成した。店側としても、学生としても今まで接点を持つ場がなかったが、Kunicoによって接点がうまれ、ちらほらと個人商店で学生を見かけ、なじんでいる姿を見つけた際はとてもうれしかった。

 
 また、市政レベルの企業誘致の活性化プロジェクトや、市民レベルでの読書会等に関与させていただく中で地域活性の仕事に興味をもつようになっていった。ただ、具体的な仕事としての関わり方等が分からぬうちに、自分の悪い癖なのだが、いつしか関心がおざなりになり卒業を迎えてしまった。

 社会人として生活を始めてから、前述のstudio-Lの山崎さんの著書に触れる機会があった。もともと、NHKのドキュメンタリーを通して、studio-Lや山崎さんの存在をしっていたのだが、社会人になり、中期/事業計画策定や事業運営に携わる中で、studio-Lの取り組みと自分が今仕事の中で携わっていることに近しい部分があることを感じた。限られた予算の中で、事業計画を策定し、その際、利害調整に追われながら決裁にこぎ着けること。実行上は、やる気がない人も含めて巻き込みながら事業が運営をしなくてはいけないこと。また、一元的な管理を行うのでなく、管理、運営権限を現場レベルに落とし込んでいくこと。最終的に成果として、プロダクトが出たときに、裏に泥臭い作業があるからうれしいこと。

 まったく同じではないにしても、自分が会社の中で携わっている事業のサイクルと同じようにstudio-Lの地域活性の取り組みは行われているのではないかと思った。仕事の対象として、あこがれがの存在でしかなかったコミュニティデザインが同じようなプロセス(自分たちよりはずっとワークしているんだと思うんだけど)で行われていると感じて、親近感と学生の頃のコミュニティデザインに関わりたいという思いがまた蘇った。

 また、その思いを持った後に、今すんでいる五反田のあまりに住人どうしの関係が希薄であることに寂しさを募らせるようになり、また、会社がある都市にある工場を閉鎖し新聞でその都市の今後の斜陽が心配されているのを目にしたり、会社が製造実習で地方都市を訪れ工場都市の現実を目にする一方で、仕事に余裕ができて久しぶりにローカル線で旅に出て昔感じた土着の日常性にある美しさに触れたりすると共に、さらに、友人に誘いで、陸前高田と東京の若者を食で結びつけるプロジェクトに参加することになったこともあってコミュニティデザインへの関心が少しずつ自分の中で強くなっていった。

 そして、大学時代にKunicoをともに作っていた後輩が、studio-Lに就職したことを知ったことと、一連の感情を抱いた上で、先日のカンブリア宮殿での山崎さんの特集を見た際に、いてもたってもいられず、studio-Lの人と喋ってみたい!思い、担当者に連絡をして、気づいたら連絡をした3日後に三重の伊賀事務所を訪れることになっていた。

4、彼らを訪れ、話しをすることで感じ、考えたこと
事務所のある、島ヶ原は非常に美しい土地であり、山間地域にある独特の暗さもなかった。そこにある伊賀事務所は、木目調で暖かみのある素敵な場であった。

 本日はインターン生が事務所を訪れているようで、過去のプロジェクトの紹介がされていた。
皆の顔が生き生きとしているのが印象的だった。オフィスは、コミュニティデザイン関連の書籍で囲まれ、学習意欲と知のバックグラウンドがあって多くのプロジェクトが成立しているのだなと感じた。また、多くのプロジェクトを手がけていたメンバーの西上さんのプロジェクトの表面的な成果の裏にあるプロセスや、特に多くの人が住む地域を相手にする仕事であるからこその利害調整等の難しさの話しに印象を受けた。一方で、地域への強い危機感と活性化への意思をもつ市の職員等の存在が利害調整や、泥臭いリサーチやドキュメント作成を差し置いてのプロジェクト遂行の支えになるとの話しもまた数々のプロジェクトを遂行した人の言葉であるからこそ納得させられるものであった。この場、このメンバーはあっての今までの成果なのだと感じ入った。

 短い時間ではあったが、上記の西上さんと、同様に多くのプロジェクトを手がける醍醐さんと面会をさせていただき、成果を求めれ誰もができる訳ではないプロフェッショナルな仕事であるからこそ、まずは今の自分の仕事の中でやりきり、成果を出して能力をつけることがいずれコミュニティデザインの仕事に携わる上での近道であると感じた。同時に、コミュニティデザインへは、必ずしもstudio-Lのメンバーとしてでしか関与できないのではなく、彼らが主催するワークショップ等への参加や、他の市民活動への参与という形もあるのだと思った。

 今回、自らコミュニティデザインの現場を訪れ、見て、聞いて、話すことで確かにコミュニティデザインへの関心は増すこととなった。地域の現場に足を運びそこでの問題解決への関与を既存のワークショップに参加することはもちろん、解決策は多種多様で、解決策を自ら模索し、人を巻き込んでいってもいいなと思い、今回、友人と進めている陸前高田のプロジェクトが一つの契機になるのではないかと思っている。こうして、興味関心の幅を広げることがつい今まで疎かになっていたことに反省しつつ、今の仕事での事業運営と一年を通して感じた問題を解決すべく邁進することが、すべてに通ずるなにより大事なことであるという当たり前のことに気づかされ、明日からのモチベーションを高ぶらせることとなった。